目が覚めて時計を見ると、まだ早朝の4時だった。
釣りに行く。一度も行ったことがないのに、なんとなく釣れる気がしている。その根拠のなさが、妙に確かなものに思えた。
家の近くに釣具屋がある。それっぽい竿とリールを買い、クーラーボックスも買った。店員に聞かれても困るので、適当に「ブラックバスです」と答えた。たぶんブラックバスじゃない。自分はブラックバスがどんな魚か、よく知らない。
コンビニでコーヒーを買い、車の中で飲む。 早朝の空気がフロントガラスに冷たさを残していて、コーヒーの熱さと外の冷たさのあいだに、自分が浮いているような感じがした。
湖に着いた。 静かだ。水面が薄い膜のように張っていて、空気がそこに留まっている。誰もいない。
竿を出し、ルアーを投げた。水の表面を叩く音だけが、やけにはっきり聞こえた。
釣れない。 当たり前だ。一度もやったことがない。
釣れない自分に対して、いつかの言葉の断片が、浅瀬に突き刺さる。
「壁が無くても進めない事あるわよね」 「想像と違うから帰ろうと思ってたの」
どこから来たのか分からない。湖の静けさが、変な回路を開いたのかもしれない。
釣れることよりも、この雰囲気を享受している自分がいる。魚を普段釣らない俺が竿を出している。それだけで、目標の半分以上は達成していた。
竿をしまい、車に戻る。
帰り道、半透明の美術館が目に入った。ガラスと白い素材でできた建物で、中のデザインが透けて見えている。ああいう風呂が自分の家にあったらいいのにな、と思った。
体の中を血が巡っているのを感じる。 心臓が脈を打つ。それだけで、何かが少しずつ動いている。
車は、家に向かって走っている。